石榴舎ブログ 『俳句は自伝』 |                      by Toyokazu Suzuki

今月の一句 <二月>

立春の雪のふかさよ手鞠唄   石橋 秀野


 句文集『櫻濃く』(昭24・3、創元社)所収。昭和21年、疎開先の松江市南田町・初音館での作。「立春」「雪」「手鞠唄」と季語が三つも入っている。それでいて、まぎれもなく「立春」をことほぐ句となっている。

 秀野は昭和4年9月(20歳)、慶應義塾大学国文学科2年生だった石橋貞吉(山本健吉・22歳)と結婚。丸の内界隈では、その美貌が注目されていた。17年1月20日、長女安見子誕生。昭和22年9月26日、療養中だった京都の国立宇多野療養所にて死去。享年38。

 私は『定本石橋秀野句文集』(平12・7、富士見書房)を企画編集した。秀野の資料は少なく、目にふれる機会が少ないため、以下、やや多めに俳句を句文集『櫻濃く』より引いておく。
     
     寒梅やつぼみふれあふ仄明り
     花八ツ手まぢかき星のよく光る
     毒だみや十文字白き夕まぐれ
     つばくらめ来たり廃園射る如く
       墨堤
     櫻濃くジンタかするゝ夜空あり
       父小野氏母石ノ上氏
     初ひゝな陸奥(おく)と大和の御祖(みおや)かな
       桂郎さんへ返りごと
     初袷やせて美(は)しとは絵そらごと
       波郷氏出征
     征く君に熱き新酒とおぼえけり
     子にうつす故里なまり衣被
     秋立つと仏こひしき深大寺
     やゝ寒やとぼしきまゝの髪油
       空襲昼夜を分たず
     ものゝ芽に刻々の日のあはれかな
     烏賊噛めば隠岐や吹雪と暮るゝらん
     風炉すゑて魚もやくなる二月かな
       船上山麓にて
     風花やかなしびふるき山の形(なり)
       子にさとして
     青蠅や食みこぼす飯(いひ)なかりけり
       鳴滝といふに一時の宿りを得て
     斑猫や松美しく京の終(はて)
       家人に
     労咳に眉生えつゞく暑さかな
       橋本多佳子夫人とありて
     別れ蚊帳老うつくしきあしたかな
       文章書かぬ言ひわけに
     筆折つて藷に寠るゝ六腑かな
       木屋町
     鳥渡るをみなあるじの露地ばかり
     冬めくやこゝろ素直に朝梳毛(くしげ)
       停電連夜の慣ひとなる
     手さぐりてインク匂へる霜夜かな
       自嘲
     あかゞりや飯欲り哭(な)けば猿の顔
     子や待たん初買物の飴幾顆
     納豆に飯ふき啖ふ松の内
     小夜時雨枢(くるゝ)おとして格子うち
     日脚のぶ煤ひと筋を後れ毛に
       山廬先生の還暦を祝ぎまつる(五句のうち一句)
     かげろうふの甲斐はなつかし発句の大人
     柳絮とぶや夜に日に咳いてあはれなり
     病み呆(ほ)けて泣けば卯の花腐しかな
     卯の花腐し寝嵩(がさ)うすれてゆくばかり
     緑なす松や金欲し命欲し
       家人に
     短夜の看とり給ふも縁(えにし)かな
       病みて百日ちかし
     男手の瓜揉親子三人かな
     妻なしに似て四十なる白絣
     梅雨の雷子にタン壺をあてがはれ
     裸子をひとり得しのみ礼拝す
     大夕焼悪寒に鳴らす歯二十枚
     西日照りいのち無惨にありにけり
     子を離す話や土用せまりけり
     大夕焼消えなば夫の帰るべし
       七月六日夜(三句のうち二句)
     遠花火とりすがれるは冬布団
     火のやうな月の出花火打ち終る
     夏の月肺壊(く)えつゝも眠るなる
       七月廿一日入院
     蟬時雨子は担送車に追ひつけず

 絶筆となった「蝉時雨」の句には、『古事記』のヨモツヒラサカの別れを象徴するような、神話的な雰囲気がある。
 戦後の貧窮のなかで、いのちの絶唱を詠いつづけた。女流俳人による人間探求俳句であった。
     

閨秀の流離うべなふ余寒かな   赤榴子


昭和17年5月29日、大原稲荷へ長女安見子宮参り

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Category : 二月
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