石榴舎ブログ 『俳句は自伝』 |                      by Toyokazu Suzuki

惜命の山彦-高柳重信忌に-

7月8日は、高柳重信没後28年めの忌日。この日午前6時14分、荻窪の東京衛生病院で肝硬変のため急逝。享年60。願泉寺での葬儀の折、荻窪駅南口から会場へ向かう桂信子に追いついて、道々、重信を偲んだことなどを思いだす。
 
第3回現代女流賞の授賞式が新宿のホテル京王プラザで行なわれたのは昭和54年春のことだった。式後、その日のうちに境川村へ帰るという飯田龍太が甲府行の特急を待つ寸刻、ホテルのラウンジで重信と俳論をたたかわすこととなった。理詰めの重信に辟易ぎみの龍太が、「きみのいうことはぜんたいに難しすぎる。難解なことを平明に言うのがプロというものだ」という意味のことをいうと、重信はいかにも嬉しそうに頬を紅潮させ、「そうなんだよなあ」と頷いていた。
一言の断を旨とする龍太の前に、重信の饒舌が不発に終ったという印象だった。

飯田龍太展(平成20年9月~11月)の記念講演で、宇多喜代子の語った重信と龍太についての秘話がある。鋭い筆鋒で新進批評家として「俳句研究」編集長・重信の信頼厚かった宇多に向かって重信が言ったことば。
「俳人をいくら貶してもよいが、飯田龍太の悪口だけは言うな。龍太は俳壇の正一位であることを忘れないように」

   おーいおーい命惜しめといふ山彦        重信

 『山川蝉夫句集』以後、昭和58年、急逝数か月前の作。言い古されたことだが、作品はときに作家の運命を予言する。「俳句研究」の雑務に追われつつ、耳を澄ませば惜命の山彦が谺していたのだ。

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         富山県 立山   「還暦やいまだ 踏まざる裏日本   重信」

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