石榴舎ブログ 『俳句は自伝』 |                      by Toyokazu Suzuki

山河慟哭 -相馬遷子-

   冬麗の微塵となりて去らんとす   相馬 遷子

 相馬遷子が肝臓癌のため67年3か月の生涯を閉じたのは、昭和51年1月19日だった。
 私は、50年11月30日(日)、入院中の佐久総合病院西病棟7階の病室に遷子を見舞った。面会謝絶の病室へよく通してくれたものだと思うが、入口には「面会謝絶」の札が掛かり、遷子はひとりベッドに横たわっていた。その日、国鉄の大規模なストライキのため、交通機関はほとんど麻痺状態だった。
 カーテンの引きはらわれた大きな窓いっぱいに冬枯れの佐久平が広がっている。雪を冠った浅間山と銀色の帯を打ち延べたように光る千曲川。
衰弱の激しさは一目瞭然だった。逡巡する私を気遣うように、遷子はしずかに言う。
 「昨日は福永耕二さんが来てくれました。佐久は、いまごろがいちばんいい季節です。佐久の冬景色を楽しんで帰ってください。
 角川源義さんとは、長い手紙の往復を三度やりとりして、和解しました」
 遷子執筆の「現代俳句月評」の、歯に衣きせぬ源義批判の一文は、当時、俳壇の話題となった。遷子から「不都合ならば書き直してもよい」との電話をもらったが、原文どおり雑誌「俳句」に掲載した。遷子・源義のあいだに、批判と反発と、そして和解のあったことに私は安堵した。詳しい経緯は省くが、結果的には、遷子の厳格な批判精神と、これを是とする源義の寛容が印象づけられることとなった。
 「このように黄疸が出ると、肝臓癌の末期症状なのです。自分では胃癌のことばかり心配していて、肝臓癌だったとは晴天の霹靂でした。取り返しのつかないことになりました」
 遷子は昭和49年4月、胃癌の手術をうけている。開業医として多くの重症患者をみてきた遷子は、冷静に自らの病状を説明した。
 「取り返しがつかない」という言葉がこんなに重く胸に響いたことはなかった。取り返しのつくことで思い煩う愚かさのくりかえしだったことを改めて思う。死という縮命以外に、取り返しのつかぬことなどないことを、遷子は教えてくれた。

 まっしろに乾いた唇に湿らせた脱脂綿をあてながら、柔和な表情を崩さない。
 「食欲のことを医学用語では食思というのですが、食思がなくなったときが人間の最期なのです。犬や猫も、最期には食べものを受けつけなくなる。いのちの最期はみな同じです」

 句集『山河』(昭和51、東京美術)より。

     梅雨深し余命は医書にあきらかに    遷 子
     露燦と諸刃の剣の薬飲む          
     入院す霜のわが家を飽かず見て
     冬青空母より先に逝かんとは
     霜天や食絶ちて死すはいさぎよし
     雪嶺よ日をもて測るわが生よ
     死は深き睡りと思ふ夜木枯
      病急激に悪化し、近き死を覚悟す
     死の床に死病を学ぶ師走かな
     わが山河いまひたすらに枯れゆくか
     わが生死食思にかかる十二月

 間近に迫った死への思いと、絶望の渕での精神的葛藤のなかで、自らの句境を深めていることに驚嘆するばかりだ。死を見つめつつも、無為と空費に終わってしまうのが病者のつねだろう。遷子の強靭な創作心は、精勤と自励とのたえざる句作体験の深化によってもたらされたものだ。
 遷子第一句集『山国』(昭和31、近藤書店)を古書肆で入手したのは学生時代のこと。いまも愛蔵している。『雪嶺』(昭和44、竹頭社)は署名本をいただいた。「俳句」編集担当のころは、細字の万年筆で読後感を記したハガキをことあるごとにもらった。
 積年の感謝の気持ちを述べて、後ろ髪引かれる思いで病室をあとにした。

 1月22日、佐久市野沢の古刹、時宗の開祖一遍上人初開の道場・金台寺での葬儀の霊前には出来あがったばかりの『山河』が供えられていた。
 寒気すさぶ浅間颪が本堂の板戸を鳴らし、遷子を悼む山河慟哭の声とも私にはきこえた。
 『山河』あとがきの最後に、「種々啓発をうけた石田波郷氏の霊に心馳せつつ後記の言葉としたい。/昭和五十年一月」とあるのが、格別こころに沁みる。作品の評価や一身の去就に迷ったとき、亡き波郷に物問うこともあっただろう。遷子が貫いた凛乎たる文学精神は、心友との黙契でもあったように思われる。

 最後に、句集『山国』より愛誦句を引く。

     梅雨めくや人に真青き旅路あり       遷 子
     山中に河原が白しほとゝぎす
     あをあをと星が炎えたり鬼やらひ
     高空は疾き風らしも花林檎
     風に聞く雪解山河の慟哭を
     入りし日が裏よりつゝむ雪の嶺
     百舌鳴くや妻子に秘する一事なし
     夕凍みに青ざめならぶ雪の嶺
     明星の銀ひとつぶや寒夕焼
     地のかぎり耕人耕馬放たれし     

 読みすすむにつれて、こころ澄みゆき、洗心浄化の境地にいる幸福感を味わう。自然諷詠と境涯性という永遠の課題の一つの到達が、遷子俳句の世界であったことを再確認するのである。

       永訣36年
     寒晴れの佐久ぞ恋しき遷子の忌      赤榴子

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             雪嶺の光や風をつらぬきて 相馬遷子
                   新潟県・越後湯沢

Category : 相馬遷子
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