石榴舎ブログ 『俳句は自伝』 |                      by Toyokazu Suzuki

開豁なる隠者-相生垣瓜人-

 相生垣瓜人(あいおいがきかじん)には3冊の句集がある。
 『微茫集』(昭30・7、近藤書店)、『明治草』(昭50・12、海坂発行所)、そして没後一周忌を期して刊行された遺句集『負喧(ふけん)』(昭61・1、海坂発行所)である。明治草はキク科の二年草、別名鉄道草、姫昔蓬(ひめむかしよもぎ)。負喧は日向ぼっこのこと。
 瓜人は、明治31年(1898)8月14日、兵庫県加古郡高砂町(現、高砂市)生まれ。本名貫二。大正9年、東京美術学校製版科卒業。昭和30年、静岡県立浜松高等学校教諭を定年退職。
 俳句は、昭和3年(30歳)より瓜人の号で「ホトトギス」に投句。これは、「ホトトギス」同人だった実兄秋津(明治29年~昭和42年)の影響によるものだろう。昭和6年、水原秋桜子に従い、「馬酔木」に拠る。
 瓜人の俳号は、尊敬する明末・清初の画家石濤の苦瓜尊者に由来する。石濤の書にならって拓本に擬した瓜人創案の擬拓(ぎたく)は、その製板技術と教養の奥深さを思わせ、俳句の背後にある知の沃野を納得させるものだ。
 『微茫集』後記に、「長い学校の勤めもやうやく終ることになつて、これから乏しいながら新しい生活が始らうとしてゐる」と、老年への期待感を記している。時に56歳。それから30年間、「馬酔木」同人、盟友百合山羽公との「海坂」共宰として独自の作句活動を続け、画家として超俗的文人絵画の世界を展開しつつ、悠々自適の生活を送った。昭和60年2月7日、心筋梗塞のため永眠。享年86。
 『微茫集』の命名は、後記にもその名前を記す石田波郷によるものという。波郷は、瓜人俳句のよき理解者だった。『微茫集』のなかの一句、

      夕時雨白磁のすがたくづれそむ      瓜 人

について、「『白磁のすがたくづれそむ』こんな静謐を極めた、溶昏の静物に僕は接したことがない。無情の壷が、まるで生命ある聖処女のやうにポーズしてゐるのだ。
 僕の日頃敬愛する相生垣瓜人氏の、洗練された芸術に対する鑑賞眼と、完全な表現力を看得る作品である」
と賛辞を呈したのは昭和13年、波郷25歳、瓜人39歳のとき。作品の真贋に肉薄する波郷の希求心が爽やかである。
 『微茫集』以下三冊の句集は、すべて編年順に配列、しかもおおむね四季12か月に配されている。日付のない句日記といってもよく、瓜人の55年間にわたる俳句作品は、生老病死の人生ドラマを見るような楽しさがある。めぐりくる季節への挨拶と、好きな季語がくりかえし詠まれ、しかも旧套に堕することがない。
 『微茫集』より。

      向日葵が挑み続けし昼終る        瓜 人
      石濤の歩に従ひて草枯るる
      春めくを冬田のために惜しむなり
      彼等には冬を眠るといふことあり
      地虫出づふさぎの虫に後れつつ
      草々の呼びかはしつつ枯れてゆく
      隙間風その数条を熟知せり
      木草等も挙りて梅雨に赴けり
      家にゐても見ゆる冬田を見に出づる
      ひめむかしよもぎこそ咲け誕生日
     
 しらべ正しく、俳意確かな句ばかりである。瑣末事のなかに人生の真実を見すえ、直感と認識を刻印して、自照の文学となっている。
 肺結核療養時代に「海坂」に投句した作家の藤沢周平は、瓜人の俳句について、自然との交歓であると言い、自然の擬人化などと混同してはならない、と真髄をついている。

    師につかば師に頼るべし師に就くも師に悉く頼るべからず   瓜 人
 
 藤沢周平の投句時代に「海坂」誌友に作句心得を説いた瓜人の短歌である。周平は、瓜人への敬愛の念は「海坂」を通じて垣間見るその人柄に培われたふしがある、とも言っている。
 『明治草』から『負喧』にかけての作品のいくつかは、俳句雑誌編集のころ依頼して、青鉛筆で書かれた句稿とともに、私には忘れがたい。浜松市広沢のお宅へ瓜人を訪ねたのは昭和51年4月26日。剃髪した風貌には脱俗仙境に遊ぶ隠者のおもむきがあった。
 庭には大好物の柿の木が二本、草も木も四時の友垣として、自然のままを旨とした。菜園の胡瓜、茄子、冬瓜、大根など、また竹薮の筍、葭切、鵙、鵯、蟷螂など季節ごとの鳥や虫たちは格好の句材であり、画材となった。
 俳味あふれる瓜人の彩色画は、熱烈な愛好者に支持され、個展にも人気があった。銀座4丁目白百合ビルの「銀座百点」応接室に飾られた瓜人の鰺の乾物の絵が、優遊開豁の人柄を彷彿させていたことを憶えている。
 以下、愛誦句を引く。

      風邪引きぬ僅かに隙のありしなり      瓜 人
      悲壮なる父の為にも其の日あり
      ヴァンゴッホ冷たき耳を截りにけり
      天雷よ来れ車雷に厭きにけり
      旧交を又鯛焼と暖めき
      母の日や母と隔つる億万里
      楽しげの柚子と湯浴みを共にせり
      白銀にまた銀鼠に八つ手咲く
      冬瓜と老いて友誼を深めけり
      口中の騒然として熟柿食ふ
      老愁は濃し秋懐は淡くして
      死者も聞け生者も聞けと除夜の鐘
      老身の解け終わるべき負喧かな

 前書や字余りの句はなく、禁欲的でありながらけっして硬直せず、写生を基本に内面凝視を深めて、健全な批判精神を失わなかった。生来の恥ずかしがりやと自らいうとおり呵々大笑を慎み、さりとて堅苦しさはいささかも感じさせない。人生の達人の滋味は、ときに菅原道真の詩句「老眼愁看何妄想(老眼愁ヒ見ル何ノ妄想ゾ)」の老愁の感懐となって、句にいぶし銀の光を照射する。
句はことごとく一物仕立ての直叙。取合せや表現の放縦を厭い、しかも俳諧自在。長寿時代の俳句の典型を確立した稀有な俳人として、汲めども尽きせぬ風韻に充ちている。

                相生垣瓜人追懐
           冬瓜の嬉々とひと恋ふ日なりけり      赤榴子

20111225_2.jpg
                  杉並区清水 妙正寺公園
              晩年も冬も長しと思ふなり  相生垣瓜人

Category : 相生垣瓜人
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