石榴舎ブログ 『俳句は自伝』 |                      by Toyokazu Suzuki

作句へのヒント −俳人名言抄− (5)



杉田久女(1890年 - 1946年)

 私宅でする毎月の研究会に皆さんがもちよらるゝ句を拝見して其都度痛感する共通な欠点は、句作の態度、句の材料、見方、よみかた写生のしかたにすべて熱が足らず浅いといふ事である。格別興味もない通り一遍の題材を、ほんの一目見たまゝ浅い句を芥でもかきあつめる様にして持参される事である。興味もわかず、ほんのお座なりな事務的な態度で写生した句の多いい事である。句作の上に興味といふ事は是非必要な事で、一つの題材にふかい興味もって佇み観察し、写しとる所には必ず拙くても何か季題独得のものを発見する。
 だからまづ第一に興味をもってよく眺める事、興味を一点に集注して作句する事が必要だとおもふ。
 興味がわけば自然感情も高潮し、言葉は心の扉から流れるやうに十七字詩となってひゞきを発しませう。よしそれが一度でよい句にならずとも、か様な態度で一年、二年、五年十年と作句する中にはかたくなな自然も遂に必らず何かすてきなインスピレーションをあたへて呉れませう。
(鈴木豊一編 『杉田久女読本』)



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作句へのヒント −俳人名言抄− (4)



西東三鬼 (1900年-1962年)

異様なことを詠はねばならぬ事はない。且て私は「俳句は生命記録だ」と云つた。平凡と思える日常生活の断片が、決して平凡でないのは、作者の生命の火が燃えてゐるからだ。ぼんやりしていては駄目だ。
(鈴木豊一編『西東三鬼読本』)


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作句へのヒント −俳人名言抄− (3)



中村草田男 (1901-1983)

俳句は入りやすくして達しがたしという世界なのです。作るということは、まずくてもいいのです。人から見たら幼稚でもあろうが、たしかに自分が生活して、ぶつかってそう感じたというものを、自分の力で一つの世界に作りだす。その時初めてどんな作品であろうとも、まがうかたもなき自分というものがそこに存在しているのです。何か考え、何か感じている自分というもの、一個の独立した自分がいるんだということを自分に証明する、そのことだけにも俳句にたずさわる必然性があると思うのです。
(鈴木豊一編『中村草田男読本』)



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