石榴舎ブログ 『俳句は自伝』 |                      by Toyokazu Suzuki

今月の一句 <三月>

春を病み松の根つ子も見あきたり    西東 三鬼


 「先生は、現代俳句のアウトサイダーですね」
と三鬼にむかって言ったことがある。
 「それは、ちがう。わたしこそが、正統なのだ」
という答えが即座にかえってきた。死の前年、昭和36年8月5日のことだった。
 ここに引いた一句は、かつての溢れんばかりの才気は消えて、人生の終末ちかい病身の孤独を直視している。昭和37年3月7日作、絶筆。<木瓜の朱へ這いつつよれば家人なく>も最晩年の作。『西東三鬼読本』(昭55・4「俳句臨時増刊」)所収。
 三鬼といえば、すぐに思いうかぶのが次のような句だ。

     水枕ガバリと寒い海がある    (自註句集『三鬼百句』昭29・9、現代俳句社)
     算術の少年しのび泣けり夏
     緑蔭に三人の老婆わらへりき
     哭く女窓の寒潮縞をなし
     中年や独語おどろく冬の坂
     おそるべき君等の乳房夏来る
     みな大き袋を負へり雁渡る
     中年や遠くみのれる夜の桃
     露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す
     まくなぎの阿鼻叫喚をふりかぶる
     赤き火事哄笑せしが今日黒し
     限りなく降る雪何をもたらすや

 生前最後の句集『変身』(昭37・2、角川書店)は、36年10月、胃癌の手術後余病を発して危篤に陥ったとき、突如刊行のはこびとなった。黒装箱入り。1073句収録。三鬼句集4冊のうち、唯一の上製本である。

     暗く暑く大群衆と花火待つ     三 鬼(『変身』)
     蝮の子頭くだかれ尾で怒る
     花冷えの城の石崖手で叩く
     父のごとき夏雲立てり津山なり
       義仲寺
     秋日さす割られ継がれて「芭蕉墓」
       悼日野草城先生(6句のうち)
     死者生者共にかじかみ合掌す
     新年を見る薔薇色の富士にのみ
     青高原わが変身の裸馬逃げよ
     うぐいすや水を打擲する子等に
     秋の暮大魚の骨を海が引く
       松山(7句のうち)
     万緑の上の吊り籠(ゴンドラ)昇天せよ
       塩釜、佐藤鬼房と行を別つ
     男の別れ貝殻山の冷ゆる夏     (『変身』以後)
     入院や葉脈あざやかなる落葉
       術後二週間一滴の水も与えられず
     這い出でて夜露舐めたや魔の病
     人遠く春三日月と死が近し

 このあと、頭掲句へとつづく。

 新興俳句から伝統俳句まで、三鬼が俳句史にのこした業績ははかりしれない。
 昭和37年4月1日、午後12時55分永眠。享年61。4月8日、角川書店屋上にて神式による俳壇葬。会場設営の手伝いをした。弔辞を読む石田波郷の颯爽とした姿が印象的だった。
 墓は、津山城にちかい津山市西寺町の浄土宗転法林山成道寺にある。墓石には、<水枕がばりと寒い海がある>と刻まれている。

 『三鬼読本』のことで、妻きく枝を泉大津に訪ねた。依頼した看病記「遠い日々」の原稿に付された手紙に、つぎの一節があった。
 「あまり私生活を書いてはまずかったのかもしれませんが彼の為には、神経が細かく優しい面があったので、従いて来られたのですが二重人格だったのでしょうかね。誰でも裏と表はあると思いますが、その差が激しくて閉口でした」。
 看護婦だったきく枝は、「俳句」の三鬼追悼号(昭37・5)に「看護日録」を執筆。末期癌の病状を冷静にみつめ、人間三鬼を知るための一等資料となっている。

おもかげの三鬼波郷や春の暮     赤榴子

     

晩年の西東三鬼 (神奈川県葉山にて)

Category : 三月
Tag : 西東三鬼
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