石榴舎ブログ 『俳句は自伝』 |                      by Toyokazu Suzuki

今月の一句 <二月>

夢さめて春暁の人みな遠し   中村 汀女


 句集『薔薇粧ふ』(昭54・4、主婦の友社)所収。昭和50年、75歳の作。かつて、清新な抒情俳人として多くの読者を魅了した汀女の、老年の孤愁を直叙した一句である。昭和50年4月、胆石のため病臥。「(昭和51年)五月十八日、晴れし日に恵まれて退院す」という前書で、

     行きまじる軽羅の街は薔薇粧ふ    汀 女

が句集名となった。
 そのころ、東京女子医大病院に入院中だった汀女を見舞ったことがある。ベッドに起きあがって、ハガキの束にひとつずつ目をとおしていた。
 「こうして選句をしていると、皆さんの力をいただくことができるのよ。楽しくってしょうがないな」
 俳句を心から愛し、門弟への慈愛のまなざしを忘れなかった。昭和52年4月11日、ホテルオークラ本館平安の間で催された「風花」30周年記念祝賀会では、会場を埋めつくした正装の婦人たちの姿に圧倒された。
 汀女の季節ごとの和服姿には、凛とした品格があった。「俳句」口絵のため、箱根彫刻の森美術館でデニム・サロペット姿の写真を撮ったことがある。喜寿のモダンな姿が好評で、誌友のため焼増しを届けた。

     春暁の涙一滴何故ぞ     汀 女(『軒紅梅』昭60、求龍堂)
     桜草巷の春は馳せて過ぐ       (  〃  )
     日脚のぶ笹のさゆれもその影も   (  〃  )
     朝明けの軒紅梅の情かな       (  〃  )

 第一句集『汀女句集』(昭19・1、甲鳥書林)は学生時代に神保町で入手、平明にして滋味ある作品を愛読した。

     地階の灯春の雪ふる樹のもとに   汀 女
     蕗の薹おもひおもひの夕汽笛
     泣いてゆく向うに母や春の風
     中空にとまらんとする落花かな
     秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな
     ゆで玉子むけばかがやく花曇
     人のつく手毬次第にさびしけれ

 「蕗の薹」の句は、夫の横浜税関転住に伴い、官舎に転居中の作。横浜市・三渓園と同・野毛山公園に句碑が立っている。(薹は「たう」と表記)。「ゆで玉子」の句は、<あはれ子の夜寒の床の引けば寄る><雪山を夜目にポールをまはすなり><咳の子のなぞなぞあそびきりもなや><目をとぢて秋の夜汽車はすれちがふ>などとともに、仙台時代の作。『汀女句集』のひとつの記念碑をなす。随所にあるじとなって、秀作を生みだす汀女の意欲作だ。

 『汀女句集』には虚子の書簡体の序文がある。
 「『選は創作なり』といふのはここのことで、今日の汀女といふものを作り上げたのは、あなたの作句の力と私の選の力とが相俟つて出来たものと思ひます。(略)世間にはジヤーナリストといふ恐るべきものがあります。すぐ其人の耳に其人の力量を過信するやう囁きます」。
 汀女の人にも俳句にも花があり、大成者たらんことを、虚子は見ぬいていた。

 処女作<我に返り見直す隅に寒菊赤し>(『汀女句集』)から<春暁や今はよはひをいとほしみ>(『芽木威あり』)まで、作句生活70年。少女時代から老境まで、生涯、花を失うことはなかった。
 昭和63年9月19日、呼吸不全のため死去。享年88。


              中村汀女を憶ふ
うつくしき花のいのちを詠みしひと     赤榴子





Category : 二月
Posted by sekiryusha on  | 0 comments  0 trackback
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