石榴舎ブログ 『俳句は自伝』 |                      by Toyokazu Suzuki

今月の一句 <十二月>

風花に京寂びたる格子かな     司馬遼太郎


自筆色紙(吉井画廊「文壇俳句展」昭51・9・27~29)より。
京都には、しぐれと風花がよく似合う。青天に舞う風花は、夢のような悠かな物思いを誘う。
作者名を知れば、作品の背景が広がり、新たな感興がわく。『街道を行く』では、嵯峨野と紫野を歩いている。地霊と交歓しつつ、土地の記憶をよみがえらせる司馬の炯眼には、いつもながらの快感がある。風花と寂びた格子は、京都の路地の象徴だ。一句は土地への挨拶であり、国讃めのうたである。
接続助詞「に」に切れと省略があり、冬の古都の華やぎを、こころよい調べとともに印象づける。古格をふまえた、俳意確かな句である。

司馬遼太郎記念館館長上村洋行によれば、司馬は頭の中のスクリーンに映像がうかぶように書く、と語っていたという。そのためには、絶えずスクリーンは磨いておかなければならない。俳句も、同様である。

司馬は、軍隊生活の余暇に、俳句と短歌をつくらされたが、短歌は長すぎて苦手だったそうだ。子規への造詣の深さなど、司馬の俳句愛には年季がはいっている。

句集の序文は、赤尾兜子『歳華集』(昭50)の「焦げたにおい」が、傑作だ。大阪外語時代の旧友への真情がこもり、芸術の本質にもふれた名エッセイである。
また、『藤澤桓夫句集』(平3)の「俳句的情景」は、次のように結ばれている。
「藤澤先生は、諸事、閃烈な人間的一情景を愛された。それを座談として楽しむとき、ゴシップでなくて、高雅で、きいている当方に清らかな快感がおこった。文学とはそういうものではないか」。

去る11月12日、司馬夫人福田みどりが死去。司馬の死から18年。東大阪市中小坂で会ったときの、かいがいしい姿が忘れられない。

名句は、あるときふと目にふれて読者の胸に棲みつき、季節とともにしみじみとした味わいを加えてゆく。そしてついに、古典的風格へと到達するのである。


白塗りの稚児に近江の初しぐれ    赤榴子





Category : 十二月
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