石榴舎ブログ 『俳句は自伝』 |                      by Toyokazu Suzuki

妻と居りこの今生に ―折笠美秋―

 折笠美秋(おりかさびしゅう、本名美昭=よしあき)の作品「北里空砦記」9句が発表されたのは「俳句研究」昭和61年3月号だった。同誌は61年1月、富士見書房より復刊。美秋は、東京新聞特別報道部デスクだった昭和56年発病、翌57年5月、北里大学病院での診断、精密検査の結果、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と判明。58年2月、北里大学病院に入院(61年夏より同東病院へ)。気管を切開して人口呼吸器を装着。自発呼吸ゼロ、全身不随。句稿は、妻智津子が目と唇の動きを読みとって、清書した。

     最高高度にて足垂らす揚雲雀        折笠 美秋
     あやめ田は未曾有の雨と見えにけり
     桃咲くと一つこの世の闇消ゆる
     透明の虹立つわが胸串刺しに
     こみあげるものあれば押す木の葉舟
     秋霖の濡れて文字なき手紙かな
     渡り鳥数えてみれば数え切れ
     仰向けや天上ぎつしり流氷ゆく
     ととのえよ死出の衣は雪紡ぎたる

 最後の句の「死出の衣は」は「しでのいは」と読みたい。軽々に読みすごせる句ではない。
つづいて翌4月号に「北里断腸録」25句と作句ノートを依頼した。その全句を引く。

     すでに方舟発てり吹雪いて見えざれど     美 秋
     二人用寝棺が欲しと雪夜の妻
     泣けよ泣いてしまえと氷雪打つ樹林
     君に告げん氷海の底灼熱すを
     溺沈の瞳ひらきおれば月光よ
     たましいを夜どうし氷柱と吊るしおく
     白棺や月光胸に重からん
     月光をこわさぬようにこわさぬように
     かつて地に篝火(かがりび)ありき雄叫(おたけ)びも
     愛咬や東国荒れし星荒れし
     絶海を越す小舟あれ鬼火して
     横浜市緑区もえぎ野ざんざ降り
     ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう
     花の名の酒が別れの花言葉
     千日添い寝して夕顔の蔓からむ
     人ひとり死ぬたび一つ茱萸灯る
     水風船(しやぼんだま)行きつくところが死に処
     月の影踏み遊びにひとり見知らぬ子
     白蘭や無いものねだりのいのち欲し
     振り向くとき人立ち止まる月下の葬
     帰る雁泪しおるや振りむかず
     我が抱く手負いの我れや紅葉闇
     秋風の風船売りもう風ばかり
     雪に降り積もられている下の雪よ
     幼な雪自分を夢とまだ知らず

 人口呼吸器とともにベッドに固定され、天井を見つめるばかりの病室で、詩人の想像力と言葉とを駆使して、作品を生みだそうとする意志のつよさに圧倒される。
 <ひかり野へ君なら蝶に乗れるだろう>は、妻智津子への万感のおもいのこもった句、句集『君なら蝶に』(昭61・12、立風書房)の書名となった。
 俳句に付された短文は、呼吸不能から仮死状態に陥ったときの体験を冷静に再現している。「死の淵を覗く機会に恵まれたはずだが世に聞く神秘壮厳な光景は現われることなく、私にあったのは、ただただ無の暗黒のみ。私の精神世界の貧しさの由か、それとも“生ま死に”にすぎなかったのであろうか」。

 美秋の闘病記「北里仰臥滴々」は、「俳句研究」昭和62年2月号より平成元年12月号まで、35回連載した。2年11か月、一度の休載もなく、いつも、妻智津子の手できれいに書かれた原稿が、締切日前に届いた。一回分は400字詰原稿用紙10枚、4頁分。最終回は2頁で終った。
 文章は、ことごとく、感傷や激情に遠く、抑制のきいた目で、世相と身辺を凝視する。妻智津子はもとより、長男冬航、長女美帆への家長のまなざし、新聞記者時代の仲間たち、欧州取材旅行の思い出、俳人との交流、そして、不遜なことをいうようだが、自力での活路を絶たれた病いへの不安と恐怖。人間の尊厳とはなにか。折笠智津子『妻のぬくもり蘭の紅』(昭61・12、主婦の友社)とあわせ読むとき、これはひとつの奇蹟ではなかったか、と思えてくる。
 連載のうち、平成元年3月号までの26回分を『死出の衣は』の書名で元年6月10日、富士見書房より出版した。<ととのえよ死出の衣は雪紡ぎたる 美秋>によったものである。
 出版の了解を得るため、北里大学東病院4階西病棟に美秋を訪ねたのは63年12月31日だった。美秋の表情は、思っていたほど窶れた様子はなく、眼は聡明なひかりをおびていた。「仰臥滴々」より。
 「×月×日 晴れ。もう大晦日。振り返って、殊に夏以降は、心身混沌として辛く、ひたすら時間の経過を待つ日々だったが、過ぎてみれば早いもので、来年もまたそのように過ぎてゆくのであろう。一日一日悪くなっても良くはならない病状の中で、肉体は、何時まで、何が出来るであろう。精神は、何処まで、何が出来るであろう。正直、不安を禁じ得ない。本日も入浴あり。看護に当たってくれた方々、一年間ご苦労さまでした。そしてお励ましいただいた方々、心よりありがとう。千晶さんより花頂戴する。鈴木豊一編集長見える。この『北里仰臥滴々』を一冊に纏めて出版して下さるとの事、また二冊目へ向かって今後も連載を続けるようとの言葉を戴いた。妻と共に喜ぶ。ありがたし。最高の年送りのプレゼントとなった。蘭の花束を戴く」。
 平成元年5月30日、『死出の衣は』の見本が出来あがった。カバーは、発病後の美秋の蘭の絵で、未完成に終ったもの。「仰臥滴々」より。
 「×月×日 雷雨あり。寺田澄史、阿部鬼九男両兄見える。女流俳人についての話と、四方山の事、楽しく聞かせてもらう。『死出の衣は』完成、夜、鈴木豊一さん見本を届けて下さる。装丁もよく、妻と共に喜ぶ。三千五百部。千七百円。皆さんお読み下さい」。
 
 「北里仰臥滴々」の連載終了後3か月、平成2年3月17日、逝去。
 「俳句研究」平成2年5月号編集後記より。
 「<花浴びて妻と居りこの今生に>と詠んだ折笠美秋氏は、三月十七日朝、発病以来入院中だった北里大学東病院で亡くなられた。五十五歳。(略)十九日、<横浜市港区もえぎ野ざんざ降り>と詠われたもえぎ野の自宅で葬儀。長男冬航氏の挨拶に『太陽のように輝き、大地のように広く、鋼のように勁かった父』ということばがあった。『騎』十四号(’89・12)の折笠氏近作より。<花失せて翁に帰る桜かな><冴えわたる満月を見き虎と化さん>。追悼の記事は次号に」
 平成2年5月4日付の冬航からの挨拶状に、「眞光院秋徳昭榮居士」の戒名が記されている。
 「俳句研究」平成2年6月号の「追悼・折笠美秋」には高屋窓秋、安井浩司、神谷紀一郎(東京新聞特報部)、阿部鬼九男、飯島晴子、池田澄子ら19名の人が親身な文章を寄せた。

 『死出の衣は』出版後しばらくして、ノンフィクション作家の柳田邦男から電話があった。いま、自分の責任編集で、同時代のノンフィクションのシリーズを企画している。正式の書類は会社あてに送るが、編集担当者として了解しておいてほしい、というものだった。事前に、編者みずからが連絡をしてくるのは、希有なことだ。
 『同時代ノンフィクション選集 第1巻「生と死」の現在』(平4・11、文藝春秋)には、美秋『死出の衣は』のほか、千葉敦子『「死への準備」日記』など5編を収録。柳田の情理をつくした懇切な解説「自分の死を創る時代」が巻頭に載っている。
 「折笠氏がかすかに目と唇を動かして夫人に意思を伝えるのを、夫人は懸命に読み取って、一字ずつメモしていく。「ご・は・ん・を・た・べ・て・い・る・だ・け・の・か・ん・じ・や・・・」と。その情景を瞼(まぶた)に浮かべて日記の文章を読み返すと、胸が詰まる思いがする。
 書かれることによってはじめて伝えられる事実の衝撃性とは、こういうことである」
 「闘病記を読んで発見する様々な人間の真実のなかで、私が最も心を動かされるのは、病いと闘う人が苦悩の暗い森のなかをさ迷いつつも、死を目前に見つめて、その人なりの生き方と生きる意味とを見出していく事実であり、愛の絆を確認していく事実である」
 「再び問う。『ご飯を食べて居るだけの患者さん』なのか、と。これほど密度の濃い緊迫した精神生活は、ほかにあるだろうか」(柳田邦男「解説」)。

 最後に、『死出の衣は』と「北里仰臥滴々」から、愛誦句を引く。

     生きはぐれ死にはぐれまた桃を見き     美 秋
     流離いま石蕗(つわぶき)の雨聴き居たり
     風あれば風と化し来る春の妻
     花に遅速ほんのわずかや人の死にも
     花浴びて妻と居りこの今生に
     生者死者ある夜乗り合う月光舟
     人の形に雲行く会釈の形して
     この世かの世の風行き交わす針葉樹林
     蔦青くあり人の世に帰り道
     一人寝は銀河の瀬音思うべし
     逢いおれば風匂い生きおれば闇匂い
     川は川自身流れて流れ継ぎ
     鶏頭の紅ぃの修羅果てにけり
     水中花咲くほど細く透けゆく君よ
     断腸の思いと昼の月かそけし
     相模野に心残せばすすき雨
     風車回したあとの風の淋しさ
     君見しや見上げて黒き別れ雪
     やさしく溶けよ妻が来る雪帰る雪
     双翼や我打つ妻打つ一雷雨
     大黄落夢ではいつも声が出て
     木枯しの尾に掴って幼な木枯し
     胸中に同じ雪降る妻と我れと
     春始まる山脈の襞すみれ色
     開かずの窓に生きてし居れば春は果つ
     気配して仰臥の死角蓮ひらく
     ゆうべ来て添い寝し消えしは桔梗かな
     鳥一つ空広きかな土用西風


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『君なら蝶に』 折笠美秋
(昭和61・12、立風書房。装画・折笠美秋)


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『妻のぬくもり蘭の紅』 折笠智津子
(昭和61・12、主婦の友社)





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今月の一句 <四月>


願ぎごとのあれもこれもと日は永し  山口 青邨


季語は「日永」。
「願ぎごと」は、正しくは「祈ぎごと」で、願いごとの意。昭和63年(没年)、96歳の作。
「夏草」昭和63年12月号に「遺句」として発表。句集『日は永し』(平4)の掉尾を飾る。

雑誌「俳句」で風生(92)、秋櫻子(85)、青邨(85)三寿の鼎談をしたことがある。最も意気軒昂だった青邨は、頬を紅潮させて俳句の未来を語った。
ドイツ留学で身についた西欧感覚と、東北人の醇朴さとが、青邨の老年をゆたかに彩った。結句「日は永し」には、歓喜のことば「ハレルヤ」に通じる響きがある。

長年俳句の指導をした東京女子大学に<草の芽は早や八千種の情あり 青邨>の句碑が立つ。


一徹のひとの声音のうららけし  赤榴子


 sakura


Category : 四月
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