石榴舎ブログ 『俳句は自伝』 |                      by Toyokazu Suzuki

随順と寛容 −川崎展宏−

 川崎展宏(かわさき・てんこう)は朱塗りの座卓に向かって端然と座っていた。床の間の香炉から、誰が袖を思わせるかすかな甘いかおり。やがて、山本健吉が長身を折るようにして座につく。紀尾井町の料亭・福田家。昭和61年3月13日(木)夕刻。健吉79歳、3年前に文化勲章を受章。展宏59歳、句集『葛の葉』『義仲』『観音』のほか、虚子関連その他の著書・編著多数。俳句同人誌「貂」代表。
 富士見書房から復刊された「俳句研究」の昭和61年4月号より9月号まで、半年にわたって連載した「昭和俳句回想」の最初の対談だった。以後、7月まで5回行われた。第1回は、健吉と私の一問一答形式だった。
 「昭和俳句回想」の対談では、まず「人間探求派誕生」の回顧談、つづいて「純粋俳句をめぐって」「俳句事件の周辺」「俳句の芸術性と常識性」「男系の文学」。展宏は口の重い健吉に調子を合わせつつ、大事な発言を引きだすことに成功している。とくに、健吉の初期評論「凩の風狂」と「高館」の考え方の根源を執拗に追求するさまには、純粋な熱意と気魄とがこもっていた。
 「私の俳壇経験が、氏によって大事な文学体験、いや人生体験として裏打ちされたと思い、感謝しているのである」。
 のちに単行本として刊行した『昭和俳句回想』(昭61・12、富士見書房)の「はじめに」の一節である。
 対談のあとの食事のあいだも、くつろいだ二人は対話を楽しんでいた。健吉は、
 「あなたは、楸邨門下として、俳句でも文章でも、立派な仕事をしているのだから、もっと偉そうにしていいんだよ」
と言って展宏を恐縮させた。若い日、健吉が師の折口信夫から、「君はもっと学者のポーズをとったほうがいい」といわれたと書いていたことを思い返し、先輩が後輩を激励する事例のひとつとして心に残っている。
 この日、夜から季節外れの雪となり、ハイヤーで西調布の展宏宅まで送った。若くて美しい美喜子夫人が玄関へ出迎えた。

 展宏の父は、海軍士官。幼時、父の転任に伴い、軍港地を転々。当然のごとく海軍兵学校を受験するも、肺浸潤のため不合格。昭和28年、東大国文科を卒業。昭和36年より7年間、米沢女子短大に勤務。この間に、結婚、長女誕生。
 第一句集『葛の葉』(昭48・1、杉発行所)の「雪」の章はその山形時代にあたる。

     並び跳ぶ傘のぼた雪落さんと     展 宏
     雪雫出羽の子の眉うつくしき
     雷過ぎてポストの口はあたたかし
     朝顔を仰ぐ手もとを少女抜け
     帰る道は言葉すくなし薄原
     桜桃の花の静けき朝餉かな
     束ねたる紫苑の空の遠くなりぬ
       父急逝
     松蝉の朗々と父焼かれゐて
     青桐の莢を頼みの雪ごもり
     包丁で氷柱をおとす二階より
     車窓に反る手の美しや雪の山
     誕生近し野薔薇もつとも明け易く
       一女誕生
     肱まくら蛾の歩みよる見つつをり
     子が泣きやみ雪国の雪降りはじむ

 恋の苦しみと歓びと。展宏伝説とよばれる結婚までのゆくたては、のちのちまで話題となり、展宏は照れることもなく、「聖家族」の初々しさをなつかしがっていた。
 『葛の葉』は刊行時、展宏より贈られた。
 「大系完結おめでとうございます。いま徹夜で原稿を書きあげて、生まの悪筆がもっとひどくなり、署名も乱筆、何卒おゆるし下さい」
 便箋書きの一文が添えられ、見返しに字画正しい文字がのびのびと署名されている。
 当時は、「俳句は遊びだと思っている」という「跋」のことばが強く印象づけられ、句はやや平板かと思ったが、いま読み返せば、作品はことごとく新たな光りをはなつ。
 『葛の葉』一巻は、挫折から出発した軍国少年の精神的成長記録であり、境涯俳句にとどまらない自恃と志の高さをめざす遍歴の記録である。

 展宏と頻繁に酒席をともにしたのは、山本健吉との連載対談につづいて、大岡信と9か月にわたる対談をしたときのことだった。この対談は「俳句研究」昭和62年1月号より8月号までと10月号に掲載され、のちに『俳句の世界』(昭63・7、富士見書房)として出版された。対談会場のホテル京王プラザからタクシーで帰る大岡と別れ、酒亭・ボルガへおもむくのがつねだった。古なじみの店主高嶋茂は長髪をかきあげながら、なにくれと展宏に気をつかってくれる。ときには、旅さきの窯で素朴な焼物を手に入れたからと、李朝を思わせる皿をそっと手渡してくれたりした。「展宏先生」となつかしそうに挨拶にくる客もいる。
 一度だけ、真顔で詰問されたことがる。
 「お前は西垣脩の弟子だからいうが、自分のことはどうするつもりなのだ」
 「なんのことでしょう」
 「編集のしごともいいが、なにかものを書いているか」
 こんなことを言ってくれた人は、あとにも先にも展宏ひとりだけだった。
 後年、展宏は、「新宿『ボルガ』主人 高嶋茂氏」の前書で、
     蔦茂る酒場にルオーのキリストが    (『冬』)
 
と追悼句を詠んでいる(高嶋茂は平成11年8月3日没、79歳)。
 大久保の「くろがね」では、先客の井伏鱒二が、展宏とも親しい出版社主・Nと飲んでいた。狭い店内に客は二組だけ。Nは一瞥しただけで井伏と盃をかわしている。しばらくして展宏が、「井伏かなにかしらないが、挨拶もないのかねえ」
と、つぶやいた。それで鬱憤がはれたのか、あとはいつもどおりの俳句談義となった。

     「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク   (『義仲』)

 「戦艦大和(忌日・四月七日)」と前書するこの代表句については、多くの人が語っているが、私は吉田満の『戦艦大和ノ最期』をひきあいに出し、その簡潔な文体を賞讃した。
 展宏は、
 「徳之島ノ北西ニ百浬/洋上、『大和』轟沈シテ巨体四裂ス 水深四百三十米/今ナオ埋没スル三千の骸(ムクロ)/彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」
という最後の一節を暗誦して、
 「文語体は、いいよなあ」
と、言った。
 『秋』(平9、角川書店)には、楸邨とともに鱒二の追悼句が載っている。
       加藤楸邨先生(平成五年七月三日)
     夏座敷棺は怒濤を蓋ひたる      展 宏
       悼 井伏鱒二氏(平成五年七月十日)
     いましがた出かけられしが梅雨の雷

 関西でも展宏人気が高いことを知ったのは、大阪・新阪急ホテルで催された阿波野青畝米寿祝賀会の折だった。スピーチに立った展宏は、青畝俳句への傾倒ぶりを語り、最後にちょっと間をおいて、
     夏帽子大国主命かな      (『夏』)
と、祝句を披露した。とたんに、万場に笑いと拍手が沸きおこった。展宏の挨拶句には、あたたかい人柄がよく投影されている。

     炎天へ打つて出るべく茶漬飯    (『秋』)
     塗椀が都へのぼる雪を出て
       西垣脩先生を憶う
     外套の姿勢正しく「飲みませう」   (『冬』)
       大三島 大山祇神社
     居並ぶや春の愁ひの大鎧
     洒落ていへば紅葉かつ散る齢にて
     九秋のはじめの風を今宵かな
     身を空(から)に心空にと添水哉

 「炎天へ」の句について、展宏とふたりだけのとき、徳川家康の出陣風景を描いた虚子の小品「湯漬」(昭9・4「ホトトギス」)を話題にしたことがある。現代生活の寸景を詠みながら、歴史の一場面を鮮やかに連想させる。
 総じて、展宏の代表句には、読みの多義・多様性を含むものが多い。確たる発想の契機と、古典への蘊蓄、そして師風に泥(なじ)まず、独自性へのあくなき希求から生みだされたものだ。

 展宏は、書くように話し、話すように書く名文家だったが、文章をほめると、きまって、自分は俳人だから文章よりも俳句をほめてもらったほうがうれしい、といった。
 『山本健吉俳句読本』全5巻(平5・5〜平6・1、角川書店)の解説はすべて展宏にたのんだ。毎巻、工夫をこらし、新見をまじえつつ、平明に叙している。文は人なりを納得させる名解説である。

 晩年の展宏は、たび重なる病魔をなだめつつ、随順と寛容の姿勢を失わなかった。

       歎異抄
     往生は一定とこそ薮柑子     展宏(句集未収録)
     晩年を隈なく照らす今日の月
     而(シカウ)シテ見るだけなのだ桜餅
     花はみな菩薩鬼百合小鬼百合
     薺打つ初めと終りの有難う
     
 平成21年11月29日午前2時30分、肺癌のため永眠。82歳。12月5日、府中市多磨町の多磨葬祭場・思親殿で葬儀・告別式。女子大時代の教え子の姿も多かった。
 弔辞で「展」代表の星野恒彦は、「展」30周年記念号のため死の5日前に届いたという次の一句を紹介した。

     十二月たらたら多摩の大夕焼     展 宏

 多摩の横山は、慣れ親しんだ好きな風景だった。
 
     防人の多摩の横山冬霞       (『観音』)
     雪景色多摩の横山美しき      (『夏』)
 「たらたら多摩の」の措辞に、私は川端茅舎の<たらたらと日が真赤ぞよ大根引>という茅舎浄土を思った。
 真っ赤な冬落暉、その絢爛たる静寂。死の淵からの、祈りと欣求の絶唱である。
 喪主の挨拶で、喜美子夫人は、

     聴いてごらん朝ひぐらしが鳴いているよ

について、病院のベッドで口述筆記した折の、日本語への衰えぬ厳しさを語った。
 出棺準備のとき、ひとりの女性が近づいてきた。櫻井博道夫人だった。展宏は、
    
       桔梗一本投げ込む力ばかりの世に 博道
     一本の桔梗となりし男(をのこ)はや  (『秋』) 
       櫻井博道を憶う
     骨もまた疲れて眠る竜の玉
       薮柑子夢のなかにも陽がさして  櫻井博道
     その赤を心の色に薮柑子    (『冬』)

など、折にふれて刎頸の友・博道を偲んでいた。
 私にとっても、博道は第2句集『文鎮』を出させてもらった懐かしい俳人である。ありきたりのことをいうようだが、博道夫人との再会は亡きひとの引きあわせであったかと思い、若き日の気品ある展宏・博道の笑顔を思い浮かべていた。

     くちもとへ冬菊添うる訣れかな    赤榴子


百合
花はみな菩薩鬼百合小鬼百合    川崎展宏

Category : 川崎展宏
Posted by sekiryusha on  | 2 comments  0 trackback
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